「想いを遺す」こと
わたしは夢を見るのが好きだ。
この「夢」とは、寝て見る「夢」のことである。
まるで不思議な映画やドラマを見ているように
夢を見ていることがある。
目が覚めたとき、内容はほとんど覚えていない。
でも、感覚は覚えていることもある。
例えば、どことなく感じる「懐かしさ」
そういうときの夢は、たいてい「思い出の家」が出てくる。
わたしには育った家が3つある。
一つは父の実家、父と母と姉、父の両親と祖母が住んでいた家だ。
もう一つはわたしが育った家。
そこは母の実家だ。
そして、父と母が建てた家、わたしと父と母、姉と妹、
そして母方の祖母と暮らし始めた家だ。
わたしの両親は共働きで、父方の祖母も体が弱かった。
母は姉と生まれたばかりのわたしの両方を育てることが出来ず、
わたしと妹は母の実家で育った。
保育園に入る年、ようやく、わたしは父の実家で両親や姉と暮らせることになった。
数年後、両親は新しく家を建て、わたし達は引っ越すことになった。
そのとき、妹も保育園に入る年齢だったし、
姉もわたしもまだ小学生だったので、祖母も同居することになったのである。
どの家の、今はもう無い。
間取りもほとんど覚えていない。
部屋の様子など、断片的に覚えているだけである。
夢で見たのも、どの家のことだったのかは、分からない。
それでも、まるでアルバムを開いたときのように、
懐かしさを感じ、ほんの少し、思い出に浸ることができる。
想いを遺すということは、こういうことなのかもしれない。