カタチだけ真似ても、決して本物にはならない

哲学や価値観、人としての道(道徳)を伝えるために、

「道(どう)」という言葉が使われる。

そして、日本の武芸にはほとんどこの言葉がつく。

茶道、華道、剣道、弓道、柔道、書道などである。

これは「心技一体」という価値観のもとに、武や芸を極める、

といった思想があるのだと思う。

カタチだけ真似ても、決して本物にはならない!

例えば華道、

どんなに花を美しく活けても、飾っても、

心が清らかでないと本物ではない。

逆に、花を活けることにことによって、清らかな心に近づく、

それが華道を学ぶ意味だと思う。

その学ぶ姿勢や所作、作品を見てわたしたちは心を打たれるのだ。

でも、自分たちのエゴや欲、

それに気が付かなければ学ぶ意味はない。

自分たちさえ好ければいいという想い

ただ巧く活ければいいという想い、

技法だけ学べばいいという想い、

その想いは行動や所作に表れたりする。

そこにはすでに「道(どう)」はないのだと思う。

でも、これは武芸に限ったことではない。

どんなことにもつまり「情熱」や「想い」が伴わないと、

本物に近づくことは出来ないと思う。

情熱発信は、本物に近づくための発信である。

溢れ出る想いを真っ直ぐに見つめることにより、

常に自分の価値観を問いかける。

そしてそれを自分の言葉で著すことにより、

自分自身の信じる道へ進む指標となる。

想いを言葉に変換し、言葉を行動に繋げる。

情熱発信は自分自身へのメッセージである。