わたしは「何」を教える人なのだろう?
最近、自分は
「何をする人だろう?」
と自問することが多い。
プロフィールには、
もちろんいろいろ書いている。
ブログの書き方や、SNSでの発信の仕方を
サポートしている。
でも、使い方を教えるインストラクターでありたくはない。
毎日ブログを3記事書いている。
でも、ブロガーになりたいわけではない。
幕末の思想家、吉田松陰は
「学者」と「武士」についてこう語っている。
わたしは学者でありたいが、それは、本を読んだり、知識を広めるのではなく、
自分の生き方を追求し、世の中に役立つものを届けることだ。
また、わたしは武士でありたいが、それは権力や武術の腕を磨きたいのではなく、
何を守るのかを明確にし、その迷いを断ち切ることだ。
この言葉は、わたしに刺さる。
わたしは、SNSやWordPress、文章の書き方を教えるのは、
それぞれの想いの言葉の力で、明日を生きていって欲しいからであり、
わたしが、情熱発信しよう!と呼びかけ、3記事を書くのは、
わたし自らが、想いの力を自分の行動に繋げていきたいからだ。
だから、当てはまる肩書きなんてないのかもしれない。
それはもしかしたら、わたしの最大の強みになるのかもしれない。
肩書きという枠にはまる必要はないからだ。
わたしが望む世界は、誰もが自分自信を信じられる世の中である。
どんなことがあっても、自分を信じることが出来れば、
明日を生きていくことが出来る。
多くの先人たちや主人公たちの言葉が、
わたしにそれを教えてくれるのである。