いつもわたしばかり、そう考えてばかりだった。でも「想う」ということは「考える」ことではなかった。
先日、同総会に参加した。
36年ぶりの再会だった。
懐かしい顔がたくさんあった。
でも、不思議と記憶はなかった。
みんなの方が覚えていて、驚いた。
どうしてそんなことまで覚えているのだろうと、
不思議だった。
でも、少しわかる気がした。
わたしは、自分のことしか見えていなかったのだ。
「お前は自分のことしか考えていない」
10年前も、彼はよくわたしにそう云った。
例えば、お盆休みに富山で会った時。
また、そのほかの場所で会った時、
1日早く帰りたがる彼に文句を言ったら、
ラッシュにあうだろうし、俺だって1日ゆっくり休みたい、
そういった後に、必ずこのセリフを言う。
そんなことないよ。
わたしはいつだってあなたのことを考えているよ。
そう反論したけど、それは違う。
今、ようやくわかる。
わたしばっかり我慢している。
わたしばっかり苦労している。
わたしばっかり想っている。
そればかり考えていた。
でも、考えること想うことは違うのだ。
だから、周りが見ていない。
彼はどうだったのか、
周りの人たちはどうだったのか、
見えなかった。
見ることができなかった。
だから、子どものころの思い出も少ないのだと思う。
わたしが珍しく、その時の感情をぶつけたあと送ってきたメールがある。
それが今も抜けない棘のように、心に残っている。
「そうか、わかった。俺が悪いんだな。俺だけが悪いんだな」