「情熱発信」を始めて得られたこと

朝活@富山でお話しさせていただきました。

その内容です。

行動の記録ではなく、想いの軌跡を綴ったこのブログ「情熱発信」

自分の心の熱さと向き合い、ようやく見えてきた想いとは何なのか?

そして、誰の心の中にもある、炎とは何なのか。

 

幼いころ、入院生活が長かったわたしは、物語の登場人物が友達でした。

その言葉に助けられ、励まされて生きてきました。

 

だから、言葉がいつもわたしの周りにあります。

わたしにとって文章とは言葉を並べたものなのです。

だから、書くことは苦ではありません。

いつもわたしの中には言葉が溢れているのです。

 

ただ、言葉の下には「想い」があります。

その想いは言葉だけでは隠せません。

どんな言葉を選ぼうとも、想いがそのままに映し出されるのです。

 

わたしは小学校、高校は演劇部に属していました。

小さいころから物語の中で育っていたわたしは、

それを体感?出来る、

多分、単純にそう考えたのでしょう。

 

小学校、高校と演者を体験しました。

演技とは、人の前で台詞を言う。

でも、当然ながら想いが入らないと、客席には響かない。

わたしがその役の人になることはありえない

だから、当然役者を楽しめなかった。

でも、裏方は楽しかった。

人の言葉を語るのではなく、

舞台を作り上げるのが楽しい。

世界を作ることが、世界を表現することが楽しかったのです。

それから、わたしの興味の対象は映画、そして写真へと変わっていきました。

表現したい世界、それは「想い」です。

人は誰でも自分のココロの中に小さな星、王国を持っているのです。

でも、なぜ、わたしはそれほどに世界観を表現したいのだろう?

それはまだ分かりません。

登場人物の言葉は、わたしを励まし、助けられた。

でも、その主人公はわたしに話しかけていたわけではない。

小説の中の登場人物に話している。

それでも、その登場人物と同じように力づけられ、励まされるということは、

その言葉がわたしの胸にも響くからです。

自分に向けられた言葉ではなくても、

まるで自分のことのように受け取ってしまう。

登場人物になりきっているのわけではないのに、ありのままの自分に届くのです。

共感・共鳴とはそういうものではないでしょうか?

わたしはそういう想いでブログを書き始めました。

自分の中にある小さな王国を豊かにするためにです。

でも、それは現実にはマーケティングの要素は持たない、

誰に向かってなのか、何を伝えたくて、なのかは当てはまらないからです。

ただ、「何を想っているのか」だけを考えて、書いています。

どうなりたいのか、どうあるべきなのかだけを考えています。

100記事書きながら、

わたしは情熱発信とは何かについて考えていました。

より好い明日へ向かう発信。

自分のココロを見つめるための発信。

日記ではなく、想いの軌跡を綴るブログ。

それは、わたしに書くことの楽しさ、言葉の持つチカラ、そして言葉の使い方を

思い出させてくれました。

それを使って、わたしは大いに自分の世界観を表現することが出来るようになりました。

1日3記事を書く、という荒行も行った。

真っ直ぐに生きようとする想い、

それが熱さであり、チカラだと思っていました。

 

でも、そうではありませんでした。

そこに、明るさはあっても熱はありませんでした。

ガラスをすり抜けていく光しかなかったのです。

 

では、熱とは何なのか?

そして、わたしはようやく思い出すことが出来ました。

人間にはもうひとつの感情があることを。

 

それは、胸を焦がしつづけた想い、悔しくて眠れなかった想い、

押さえきれない欲望だった。

そして、これらの想いこそが、心のもっとも熱い場所なのだ。

それを言葉にしないで、どうして熱さが伝わるのだろう?

わたしたちは、言葉によってイメージを植え付けられることがあります。

その中のひとつが、ネガティブとポジティブ。

 

ネガティブは後ろ向き、ポジティブは前向きと思われていますが、

もともとはポジティブはそのまま風景を写し撮った陽画、

ネガティブは明暗や色相が実物と反対の陰画、

どちらも同じ「絵」であることには変わりません。

「想い」は、陽であっても陰であっても変わりはない。

それに気が付き、自分の中で最も熱かった時代について書き始めました。

10年近くしていた遠距離恋愛時代です。

親に反対され、友達も失い、それでも何かを求めてお金と時間と労力をかけていた時代。

なぜ、それほどまでに熱くなれたのだろう?

そこまてして何を求めていたのだろう。

それを問い続けることがわたしの情熱発信だと気が付いたのです。

そのときに、心の燃やし方を知った。

熱く生きるとはどういうことかを知った。

だから、熱く生きよう!と今呼び掛けられるのです。

 

また、書けば書くほどに、自分が何を大切に思っているのか、

どう生きたいと思っているのかが、どんどん形を成してくるのが分かる、

だから、想いを書こう!と言えるのです。

 

そして、自分の想いが言葉になったとき、自分の胸に響き、

思わず胸が熱くなる。涙が流れてくる。

そして、その言葉は、読む人の心にも届く。

だから、想いを伝えよう!と言えるのです。

情熱発信を始めて得た想い、

いつも答えは、現在・過去・未来だと思っています。

 

わたしは今、熱源を取り戻しました。

そして今未来へ向かうための発信を行っています。

そして、未来には、わたしが目指す世界が待っているのです。

わたしたちの作品や想いは必ず心を動かします。

わたしたちの知識は、わたしたち自身が探していた宝物です。

わたしたちの人生は、すべてが唯一無二のモノです。

わたしたちの情熱発信は、わたし自身に送るメッセージです。

炎の燃え方は人それぞれです。

着火点や燃料、温度も大きさも同じものはありません。

 

でも、誰の中にも必ずあって、それがわたしたちの生きるチカラである、

そう信じます。

湧き上がる想いは枯れることはありません。

炎も消えることはありません。

そしてキャンドルサービスのように、炎や想いは分ければ分けるほど広がっていくのです。

どうか、それぞれの持つ熱い想いを、是非わけてあげてください。

それはきっと誰かの心を暖め、照らす光となるはずです。

この想皆様に届けば幸いです。