見たくはないモノ、思い出したくはないモノの中にこそ、大切なものがある。
自分の中の光と闇、
熱と氷を知るということは、
自分を知ることである。
少しずつ、想いを並べて行くと、小さな気づきもある。
それh、自分の中に芽生えた本当に小さい火種だ。
6年前、私は彼と別れてから、
その喪失感を埋めるように、
いろいろ動き始めた。
彼のことを思い出さずにすむように、
あれこれにチャレンジした。
新しい友達や仲間もたくさん出来た。
彼の思い出が重なるものは一切排除した。
そうして、わたしは禁断症状から抜け出すことができた。
でも、何か物足りなかった。
どこか、寂しかった。
ずっと、何かを探していた。
誰も彼の変わりにはなれないと思った。
何をしても、あれほど熱くはなれなかった。
でも、新しい想いも確かに湧き出ていたのだ。
太陽のようになりたい。
太陽のように生きたい。
始めて、それを言葉にしたとき、
何か納得できた。
ああ、わたしはずっとそう思っていたはずだ。
それなのに、いつの間に、その想いを忘れてしまっていたのだろう?
その言葉は、わたしの意識を変えた。
それはわたしの陽の部分だ。
誰よりも熱く、そして明るく生きる姿勢。
自分でエネルギーを生み出す生き方。
自分に正直な生き方とはどんな生き方なのかを、
考え始めることができたのである。
ただ、同時に出来た日陰には、
見たくはないモノ、思い出したくはないモノを、
隠してしまったのである。
そのときのわたしには、まだ、
一番大切なものはその中にこそあるとは分からなかったのだった。