「ホンモノ」の想い、 最も熱い想い、 それは究極のエゴイズムかもしれない

このごろ、「ホンモノ」について考える。

ホンモノとは何だろうと思う。

例えば絵画、

これは、その画家が描いた絵、これが本物だ。

音楽もそうである。

その人の中から出た、そのひとだけの想い。

だから、それらの作品は「本物」と認められるのである。

自分の中から出るものがホンモノだとしたら、

わたしたちの「想い」もホンモノだろうか?

堂々と、これはわたしの「想い」です、

と言えるのだろうか?

常識や教科書の価値観で歪められていないだろうか?

誰かが言っていた言葉を、自分の言葉だと偽っていないだろうか?

自分の中にある「価値観」がホンモノだとしたら、

何故、周囲の反応を気にするのだろう?

何故、人の評価を気にするのだろう?

社会のルールから外れていると言うのだろう?

まっとうな人生ではない、と言うのだろう?

自分の中から出た「想い」がホンモノだとしたら、

何故、謙遜しながら、人を嗤うのだろう?

何故、応援しながら、高見の見物をしているのだろう?

何故、味方だと言いながら、人を欺き、

同情しながら、自分の胸はなでおろすのか?

そして、あなたのためだと言いながら、自分の何かを埋めようとするのだろう?

わたしたちの「ホンモノ」の想い。

最も熱い想い、

それは究極のエゴイズム

「わたし自身のため」という想いではないだろうか?

DNAに組み込まれているのではないかと思うほどの、

絶対的な価値観というのだろうか?

それは時には感情となって激しく燃える。

それを認め、受け入れたとき

ようやく、自分自身を愛せるのかもしれない。

そして、自分自身同様に、誰かを愛することが出来るのなら、

世界平和は、必ずその先にある。

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