劣等意識、人として生きる資格

劣等意識、

それは心の奥にある黒い思いだ。

劣等感とかコンプレックスとか、

そういう言葉では言い表せない。

自分を認めるとか、許すとか、受け入れるとか、

簡単に言えるものでもない。

それほど、深くて、暗い場所だ。

例えば、生きている資格があるのかどうか、

それくらいの意識だ。

ただ、それが

人間なら誰でも、心の奥底に持っている意識なのか、

それとも、わたしが特別強いのかは分からない。

わたしは幼少のころから体が弱かった。

入退院を繰り返していた。

また、運動能力が他の人より低い、

そのことでイジメにもあった

人と一緒のことが出来ないいというコンプレックス。

他の人と、自分は何が違うのだろうという劣等感。

それを、今は個性と言って笑えるけど、

それは多分心からの笑ではない。

受けいれ、諦めてきた笑い。

でも、問題はそういうことではない。

病気のことや運動能力は既に問題視していない。

でも、未だに心の奥には、

どうしても拭いきれない劣等意識があるのだ。

もっと頑張らなければならない。

もっと頑張らなければ、人並みにはなれない。

人並みのことは出来ない。

未だにどこかでそう思っている。

でも、本当にそうだろうか?

例えば、逆上がりの出来ない子が、

人の10倍も練習をして逆上がりが出来るようになったとして、

そこにどんな意味があるのだろう。

達成感?

その子が、逆上がりをしたいと望めば、

自ら進んで練習をするはずだ。

だからこそ、達成感が生まれる。

でも、周りが出来るからといって、

出来ないのは自分だけだから、

自分は人の10倍も練習をしないと人並みに出来ないから、

と思ってしまうのは哀しいことだ。

わたしはこの哀しさをいつも持っている。

心の奥深い場所にいつもある。

もっと努力すればいいのか、

もっと頑張らないといけないのか、

いったいどこまで、

いったいどのくらい頑張れば、

わたしは自分自身を許すことが出来るのだろう?

でも、この想いが人としてのサガであるのなら、

そのために人は幸せを求めるのかもしれない。

誰でも救われたいと思っているのかもしれない。

この気持ちを持ち続けることが、「生きる」とういうことかもしれない。