情熱発信原則原理の書5 草稿、与えられたもの、与えられなかったもの

自分自身を考えるとき、

どうしても、目を背けたくなることがある。

 

それは、自分に与えられなかったものだ。

 

わたしは、子どものころから病気がちだったので、

健康な幼少時代はなかった。

 

また、幼少期は祖母と暮らしをしていた。

 

小学校に入学しても、すぐ入院。

 

2年生で転校

 

人付き合いが下手で、

不器用なのに、上手く立ち回ろうとして、空回り。

 

何故、他の人と違うのだろう。

何故、他の人と同じように出来ないのだろう?

 

いつもそういう風に考えていた。

 

中学生になる頃には、そのストレスはピーク。

もう我慢できないと、学校に行くことが辛くなった。

 

本当はみんなと仲良くしたいのに。

本当はみんなと一緒になりたいのに。

 

ずっとそう思っていた。

 

2年生の時、学校に行かなくなった。

登校拒否、不登校児、

 

わたしはまた、他の人達とは異なる存在となってしまった。

 

ようやくその意識が薄れてきたのは、

高校生になったときである。

それなりに友達が出来て、ようやく学校へ行くのが苦痛ではなくなってきた。

 

他の人たちと同じように遊び、学び、楽しんだ。

 

それから短大へと進学、就職。

ようやくわたしのコンプレックスは薄れていったようだった。

 

でも、年ごろになると、

同級生は次々に結婚していく。

一人なのはわたし一人

 

またもや、コンプレックスが持ち上がってきた。

焦ってお見合いをしたこともある。

でも、どんな人と会っても、
どうしても「結婚」という考えは持てなかった。

最近になって思うことがある

わたしは結婚できなかったのは、
「結婚しよう!」とい気持ちを持つことが出来なかったのだ。

わたしの中の結婚というイメージは、

自分の暮らしを捨て、自分の自由を捨て、自分の未来を委ねる。

こういう概念で固まっていた。

未来を委ねることなんて到底できなかった。

 

その概念を覆したのが「彼」だった。

未来なんてなくていい、それでもこの人といたい、

 

初めてそう思えた相手が、彼だった。

今もその気持ちをどこかに持っているのだと思う。

あんなに人と同じでありたいと思っていた自分が、

何故、普通の人を、普通の幸せを選ぶことが出来なかったのだろう?

 

何故、他の人達と同じ選択をすることができないのだろう?

 

その矛盾は今でも時々、わたしを苦しめる。

 

 

そして、気がつく。

 

本当に、他の人と同じように生きたかったのか?

本当にそうなりたいと望んでいたのか?

 

それは違う。

正直に言うと、それは手段だったのだ。

 

みんなと仲良くなりたかった。

友達がほしかった。

 

だから、他の人達と同じであれば、仲間にいれてもらえると思った。

 

臆病で弱虫な自分の心に、そう言い聞かせていたのだ。

 

最初から普通の人生なんて与えられていなかった。

入退院を繰り返し、物語の中で育ったからこそ、今がある。

 

クラスメートと馴染めず、一度は社会との繋がりを断ち切ろうとしたからこそ、

繋がりの大切さが分かる。

 

そして友情や絆、それも超える愛情を知ったからこそ、生きる意味が分かる。

 

「普通」といわれる生活や人生とはほど遠い人生かもしれないが、

それこそがわたし自身に与えられたものかもしれない。