真の強さについて考えてみた

「優柔不断」「八方美人」「お人好し」

以前からこう言われることが多い。

あまりいい言葉ではない。

無責任、事なかれ主義、そういうイメージがある。

そして、この3つの性格に共通しているのが、

「自分軸の無さ」らしい。

正直、反論できないところもある。

まず、なかなか自分では決められない性格だ。

自分の判断に自信が持てず、誰かに意見を求めてしまう。

そして、人の意見に左右されやすい。

また、喧嘩や言い争い、もめごとも出来るだけ避けたい。

だから、ついついどちらにもいい顔をしてしまう。

そして、誰かに何かを頼まれると、イヤとは言えない。

断ったあと、罪悪感の波が怒涛のように襲ってくる。

確かに自分軸は見当たらない。

でも、反論もある。

「優柔不断」「八方美人」「お人好し」

だっていいじゃないか。

これは悪いことなにか?

人としてダメなことなのか?

例え、側から見れば他人軸だとしても、

それも結構だ。

確かに、ブレるし、悩むし、遠回りばかりしている。

でも、ブレながら、悩みながら、遠回りしている道の半ばで、

得るものもある。

それは、新しい時代の価値観や情報の中に埋もれていた、

貴重なものかもしれない。

むしろわたしが見つけたいのは、そういうモノだ。

 

もし、わたしに強さがあるのなら、

迷いながら、泣きながら、遠回りしながら得てきたものだ。

子どものころ、みんなと遊ぶのが辛かった。

走ってもみんなに追いつけなかった。

それを誰かに言われ流のが怖くて学校へ行くのをやめた。

そのとき、自分の意志を貫く強さを得た。

でも、自分の将来に不安を感じた。

だから、もう一度、その強さで、学校へ戻った。

 

10年近くの恋愛は、

誰からも祝福されない恋愛だった。

彼もわたしも、何かを得ようと必死だった。

誰一人味方はしてくれなくても、

この想いを手離すことは出来なかった。

人を愛するとは、こういうことだと知った。

 

安定した職を、一旦離れ、

今の活動を始めた。

誰に何を言われても、

時代やトレンドがどう変わろうとも、

自分の中に曲げられない想いがあった。

だから、それを守る頑固さが必要だった。

 

自分の想いを貫く強さ

誰かを愛する強さ

そして自分を守る強さ、

わたしはこれらを得てきた。

でも、これらの強さは、ひっくり返すと弱点になる。

攻めながら、守ることは難しい。

守りを固め過ぎると、攻めいることはできない。

守りながら攻め、攻めながらも守ることが出来る。

これが真の強さだ。

わたしが、

「優柔不断」「八方美人」「お人好し」なのは、

真の強さを得ていないからかもしれない。

まず、自分の弱さを認め、受け入れること、

それは自分自身を愛することかもしれない。

そうすれば、きっと真の強さを得ることが出来る。

「優柔不断」は「柔軟」へ、

「八方美人」は「寛容」へ、

「お人好し」は「慈愛」へと変わるだろう。

わたしが求めていたのは、そういう強さなのだと思う。