雑感・出版してみて感じたこと

「ときのまにまに」を読んでいただいた方から、
こんな感想をもらった。

「もっと踏み込んだ想い」が聞きたかった。
これには少し耳が痛かった。
自分の弱点をを見透かされたような感じがした。
「ときのまにまに」はエッセイやブログを書き綴った書籍だ。
もちろん、個人が特定出来る書き方はしていない。

でも、誰が読むのかわからない。
その怖さはいつもある。

ときのまにまに」が届いたとき、
わたしはそれを父と祖母の遺影の前に飾った。
子どものころから作家になりたい、そう言っていた。
父も家族も夢物語だと笑った。
だから、「ほら、どうだ!」とばかりに、
見せつけたのだ。

母は読んだらしい。
親戚に持っていくと言い出した。
5話、6話、7話には、
母のこと、祖母のこと、父のことが書かれている。
でも、当たり障りのないこと書いていたので、
姉と妹にも渡した。

アルバムとか、自分史として書いたのならそれでもいい。

でも、「ときのまにまに」は、
モノ書きとして書いた1冊だ。
そこに書かれているのは、
好くも悪くも、そのままの感情だ。

出版するということは、
その感情さえも、読者に委ねるということだ。
それに対する覚悟の弱さ。
それが文章に表れている。

文章の読みやすさ、テンポの良さは、
裏を返せなば、風や水のように目の前を流れ去り、
後には何も残らない。
そういうことになる。

今回はそれでもよかった。
最初から狙いは「心が温まる物語」
読み終わったあとに、
心に何か温かいものが残ればいい。
そう考えている。

でも、今書いている2巻目は「紅蓮色の情熱」
かなり踏み込んだ内容になると思う。
それを、個人のブログとは違い、
書籍として公共の場にだすということ。
それについての葛藤はまだまだある。

それでも、文豪と言われた人たちは、
何故、命をかけて書き続けたのか、
それによって何を伝えようとしたのか、

「ときのまにまに」が完結したとき、
ほんのカケラでも感じることができれば、
幸せだと思う。