わたしの中のカオス(混乱)

わたしの思考のクセで、

ときどき、脳内がカオスになります。

そういうときは、部屋の中もカオスです。

今、一番混乱しているのは、

わたしは、どちらの目線で書いているのか、ということ。

これは、「紅蓮色の情熱」を書いているときもそうでした。

今、書いているのは情熱発信ナビゲーターとして書いているのか、

ときのまにまにの作者として書いているのか、

混乱することがありました。

わたしにとって、

書くことの定義が、曖昧なのです。

例えば、情報を書く、

サービスを知ってもらうために書く、

自分の考えを聞いてもらうために書く、場合は、

ハッキリしています。

でも、読み物として書く、

となると、書くというより創るといったことに近い。

TOUKOは、読み物を書いている、

ブログでは自分の想いを書いている、

でも、「ときのまにまに」も「紅蓮色の情熱」も、

自分自身の想いです。

だから、いつのまにかブログの視点になっていました。

書き方や内容が微妙に変わってきました。

それを、「読み物」にするために、

ある意味強制的に、視線を固定させました。

右を向くか左を向くかで、視点は逆転します。

でも、どちらを向くかを決めないと、

視点はいつまでたっても定まりません。

これは文章に限ったことではありません。

例えばお料理、誰かに提供するためのものなのか、

自分のためのものなのか。

例えばファッション、誰かに見てもらうためのものなのか、

自分を見せるためのものなのか。

文章も、誰かに読んでもらうために書いているのか、

自分の気持ちを整理するために書いているのか、

方向が決まれば視点が定まる。

視点が定まれば、行きつく先が見える。

どちらを選んでも、行きつく先はきっと同じ。

だから、決めるだけ。

そして、極めるだけ。

だとしたら、絶対に自分のために書いた方がいい、

自分の想いをそのまま言葉にしていけばいい、

正直に、感じるままに、飾らず、隠さず、誤魔化さず、

わたしが読みたいと思うのはそういう文章だし、

わたしが共感できるのは、そういう言葉だし、

わたしが知り合いたいと思うのは、

そういう書き方をしている人たちだから。

そして、わたしも自分が一番読みたい物語を創っていく。

わたしが一番感動する物語を書いていく。

わたしが今想っていることを伝えていく、

わたしが今感じていることを書いていく、

そしてそれが、きっと誰かの胸にも届くと信じる。

また、混乱しそうになったときは、

今日のこのブログを思い出そう。