ときのまにまに・草稿 「こころ」が動く瞬間がある

文学の授業は退屈だった。
教科書に出ていた文章は、一部の抜粋だった。
彼と「K」とお嬢さん。
彼らの関係は一体どうなってしまうのか、
お嬢さんはどちらを選ぶのか、
早く結末が知りたかったのだ。
わたしは先生の解説を片方の耳だけで聞き、
続きを一気に読み終えた。

最後の一文を読み終えたとき、胸がドキドキしていた。
それと同時に歯痒さを感じた。
何故、彼は当て付けのような自殺をしたのか。
残された人のことを考えなかったのか。
そして、何故、彼は殉死したのか。
それは逃げではないのか。
彼らが毎日語り合っていた
「向上心」とやらはどこへいったのか。
それとも、自分の生と向き合い、正義と向き合い、
その結果、死を選んだということが向上心だというのか。

もしそうだとしたら、
自分の行為に目を瞑り、心に正直に生きているわたしは、
向上心がない馬鹿なのだ。

そして、人ってそういう生き物なのだ。

諦めと同時に、わたしの中で何かがふに落ちた感じがした。

例えば自分で決めたルールを破ってしまうとき、
誰かに約束を反故にされたとき、
「ああ、心が動いたのだ、だから優先順位が変わったのだ」
そう考えることにしている。
だって、人って馬鹿だから。
わたしたちは死を選ぶほどの向上心なんて持っていないのだから。

だからわたしは自分を信用していない。
人も信用していない。

「K」の死後、先生がそうだったように、
わたし自身も誰も信用せず、自分も信用しないで生きてきた。
そう話すと、「淋しいね」
そう言われた。
それがチクンと胸に刺さった。

わたしは自分の心よく知っている。
ちょっとした言葉にすぐ傷付き、
そのくせ、人一倍頑固である。
琴線は至るところにあり、結構触れやすい。
波風が立つことを極度に嫌がり、
そのためならことなかれ主義を貫く。
そのどうしようもなさを持てあますこともあるが、
どこか憎めない自分自身だ。

でも、こんな自分を受け入れてくれる人なんているのだろうか。

この物語の最終は、先生の告白の手紙で終わる。

誰も信用せずに生きてきた彼の心が最期に求めたのも、
きっと、わたしも同じものを求めている。

「こころ」(夏目漱石)より

 

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