ときのまにまに番外編④ ラ・マン(愛人)
スマートフォンのアラームが鳴った。
止めようとして手を伸ばしたとき、
寝具の冷たさに一瞬ハッとする。
そっか、彼は今日も居ないのだ。
世界中に広がっている感染症を受け、
発令された外出自粛要請、
飲食店は休業を余儀なくされ、
企業もテレワークや自宅待機措置をとっている。
彼の仕事も、テレワークになるらしかった。
「本当は嫌なんだよね、こういうの、家に帰ってまで仕事だなんてさ」
家、帰る・・・
そう、彼にとって、ここは家ではないのだ。
「お前ともしばらく会えないな。外出禁止なんだから。」
「そうだね。」
それ以上、わたしに何が言えるのだろう。
そして、部屋を出ていくとき、
「お前も感染症には気をつけろよ」
あなた意外とは会わないのに?
でも、いつものようにただ微笑んで彼を見送った。
あれから2ヶ月近くが過ぎた。
でも、あれ以来彼の顔は見ていない。
ときどき、思い出したように来ていたLINEも、。
最近はなかなか既読にもならない。
そろそろ出勤の支度をしなければ、
なんとか気力を絞って、身体を起こす。
熱いシャワーを浴びて、気持ちを切り替えなければ。。。
せめてコーヒーだけはお腹にいれていこう。。。。
彼と初めて会ったのは、
企業間同士の交流会だった。
明るくて快活な彼は、いつも話の中心にいた。
なかなか話題に入っていけないわたしは、
彼と話す機会もなかった。
それなのに、帰り際に
「二人でもう1軒、行かない?」
そう、誘われたとき、黙って頷いてしまった。
そして同時に、彼の薬指に指輪があるのも見てしまった。
そして、わたしは彼の「愛人」になったのだ。
いつでも、どんな時でも、彼にとってわたしは愛人でしかなかった。
彼は指輪を外すことはなかったし、
彼のスマホの待ち受けは、5年生になるという愛娘のものだった。
「絶対に嫁にはやりたくないんだよ。どこかのバカな男になんてやってたまるか」
「特に、あなたみたいなね」
彼は苦笑していたけど、そういう男でもいいという、バカな女もいる。
淹れたてのコーヒーは、ほとんど味がしなかった。
彼と一緒にいるときには何を食べても美味しかった。
でも、一人でいると味もしなくなるものらしい。
それも、この2カ月で知った。
世の中、少しずつ動き始めている。
街にも少しずつ人が戻ってきたようだ。
ただ、人混みなどの密は避けなくてはならない。
自分を守るため、
社会を守るため、
そして大切な人を守るために。
分かっている。
本当に、充分分かっている。
今すぐ彼に会いたい、彼と一緒にいたい、
夜を一人で過ごすくらいなら、いっそ彼と共に感染してしまいたい!
わたしには、そんな独りよがりの愛情しかない。
やっぱりわたしは「愛人」だったのだ。
※このブログはフィクションです。