右へ倣え症候群

小学校の体育の時間、
整列のとき、
「右へならえ!」の号令で、
隊列が整列した。

ある軸に従って並ぶと、
カタチはキレイに整う。

キレイに整っている隊列は見ていて気持ちがよい。
でも、それは軸があるから整列できるのである。

大人になった今も、
たくさんの「右へならえ」がある。
社会の常識、ルール、
これは全て「右へならえ」なのだ。

緊急事態宣言が、全国的に解除された。
今、打ち出された新生活様式も、
右へならえと言われているのかもしれない。

ただ、私たちはあまりにも、
この「号令」に慣れすぎているのかもしれない。

昔は学校の先生に言われていた「右へならへ」
社会に出ると、政府や上司が言う。
それに疑問を持たずに従っている。
疑問を持っていたとしても、
実際に声を上げる人は少ない。

多くの人は、黙って受け入れている。

もちろん、指標はある。
軸もある。

でも、その軸をわたしたちは、
どれだけ意識をしているのだろう。

右へならえと言われるのは、
自分の頭で考えることを放棄して、
全てを誰かに委ねているからではないのか。

それなのに、結果論だけを見て、
誰かの責任にしようとしているのではないのか。

SNSで炎上する非難や罵詈雑言。
これも、誰かの心ない一言に、
勝手に右へならえをしているのではないのか。

好いことも、そうでないことも、
全てを自分の中で考え、自分で判断していく。
それが人としての尊厳と誇りだと思う。

誰に何を言われても、
誰かの言葉に大きく揺れ動いたとしても、
軸は自分の中にだけある。

そういう自分でありたい。