コピーキャットに書かないで!
多々の人が語っている言葉、
その中に、本当に、自分の中に落ちる言葉がある
そして、それを感じるのは、
それは、振り返ってみてわかるとき、
その状況になって気づくとき、
または、答えやヒントが見つかったとき、
である。
そのときになって、
初めて自分の言葉で語ることができる。
少しだけ聞き齧って、
ああ、わかるわかる、とか
わたしもそうだ、とか
確かにそうだなー、
というのは単なる共感、同感に過ぎない。
それを腑に落ちたと錯覚して、
まるで自分の言葉のように語っても、
文脈の中に、ほつれや矛盾を感じて、
聞いていても、読んでいても違和感しかない。
自分自身、その矛盾や偏りに気づいているのだろうか。
もちろん、私だって気づいていないことばかりだ。
だからこそ、自分の言葉と真摯に向き合っている。
矛盾点やほつれにと、きちんと向き合っている。
思ったことを自由に書くというのは、
何でも好きに書くということとは、少し違う。
どんな自由もそうであるように、
自分の言葉に責任を持つということだ。
感化された言葉、共感できる言葉は、
そのまま書けば、単なるしぇあである。
自分に寄せて書けば、それは単なるコピーキャットだ。
心の一番深い場所に落ちたからこそ、
自分の言葉とできるのだと思う。