困難を知らずに、私たちは育った。
今年は大雪が降った。
融雪装置も除雪も追いつかず、交通が麻痺した。
クルマは動かなくなり、公共交通も止まった。
スーパーやコンビニに当たり前に置いてあったものがなくなった。
昨年から、世界はコロナに覆われている。
気軽に出かけることが出来なくなった。
マスクをして、十分に距離をとって、会話を避けて。
当たり前にあった日常が、当たり前でなくなった。
それでも、今、私たちは、
誰かが何かをしてくれることを待っている。
自分たちの権利と自由を口にしながら、
誰かに何とかしてくれと、叫んでいる。
早く日常に戻りたい。
早く、今までのような生活に戻りたい、と。
私たちは困難を知らずに育った。
当たり前にあるものかなかった時代がある。
やりたいことが許されなかった時代もある。
ほんのささやかな夢を叶えるために、どれだけの努力を必要としただろう。
夢を大きく育てるために、どれだけの年月をかけたのだろう。
その時代を私たちは知らない。
ちょっとググれば何でも知ることが出来る時代。
まだ行ったことのない場所でも、簡単に見ることのできる時代。
なろうと思えば何にでもなれる時代。
それなのに、私たちはまだ、誰かに何かを期待している。
自分らしく、ありのままで、自分軸でと口では言いながら、
誰かが何かを、提供してくれることを望んでいる。
自分にあった生き方を、やり方を、
オーダーメイドの服のように、
誰かが運んできてくれることを待っている。
自分で困難と戦おうとせず、
自分で困難を乗り越えようとせず、
だって、私たちは困難を知らずに育った。
だから、私たちは、困難の乗り越え方を知らない。