わたしも、ずっとブレていた、今も心は揺れ動いている。
わたしも、ずっとブレていた。
今も心は揺れ動いている。
「ブレる」という言葉をよく耳にする。
活動においても、サービスにおいても、
また、思考や行動においても、
「今、ブレているので」ということがある。
ブレるとは、
正常な位置からずれること、
写真をとる瞬間にカメラが動くこと、
態度、考え方、方針などがあれこれと揺れ動くこと、を指す。
わたしたち、考え方、方針などがあれこれと揺れ動いているときに、
ああ、自分はブレているな、と感じるのである。
わたし自身、ずっとブレていた。
あちこち揺れ動いている思考は、今もある。
でも、自分の心の動き、揺れ動く軌跡を眺めてみると、
いつも、ある一定の方向を目指していることにも気づく。
わたしは、ずっと自分の思想を発信することが大切だと思っていた。
だから、WPラーニングを始めた。
でも、発信するためには、心の熱さが必要だと思った。
熱い想いがあるからこそ、発信できるのだと思っていた。
その熱い思いこそ、発信すべきことだと思っていた。
でも、何か一つ、伝えきれていないことがあるような気がしていた。
それは何なのか、ずっと分からなかった。認識していなかった。
発信することに拘っていた。
それよりもずっと手前にある「書くこと」を失念していたのだ。
当然、思考の重心も正常な位置からはずれている。
そのまま積み重ねていけばいくほど、心にも身体にも負荷がかかる。
それから、発信するために書こう、と呼びかけ方を変えた。
わたし自身も、自分の立ち位置をモノ書きと定めた。
定めることによって、思考が定まり、活動が定まり、行動が定まった。
そして、今、またわたしは揺れ動いている。
わたしは、言葉を扱うのか、心を扱うのかで揺れ動いている。
わたし自身、文学にいきたいのか、心理学にいきたいのか、
よく分からない。
でも、これだけは確信できる。
心への理がなくては、わたし自身の文学は完成しないだろう。
またわたしが書き方について学んでこなかったら、
漢字117診断や問いかけて書く書き方講座やダイアリーセラピーを
思いつくこともなかっただろう。
その二つに共通してあるのはやはり「言葉」なのだ。
そして、そう思えるのは、何よりもわたし自身、
常に問いかけ、言葉にして、そして書いてきたからだ。
書けないのは応えられないから。
応えられないのは、思考があちこち揺れているから。
だったら、あちこち揺れている思考一つ一つに
問いかけていけばいい。
書くことで、その思いを確認できる。
そして、書くことで、それは確信へと変わる。
また、揺れている想いの中にある、
自分の真実や理に気づくこともある。
だから、わたしは
ブレていると思っている人にも、
今はブレていないと思っている人にも、
問いかけて書くことを、問いかけて書いてみることを
強く勧めるのである。