自分と向き合ってみたとき、どんな姿が見えましたか?

コロナの影響で、

長い自粛期間の中で、

否応無しに、自分と向き合わされた人も多いはず。

自分と向き合ったみたとき、何が見えましたか?

自分は、どんな姿をしていましたか?

自分は、どんな言葉を囁きましたか?

その姿から目を逸らしていませんか?

その声に耳を塞いでいませんか?

思い描いていた姿と違っていたとしても、

弱気な言葉が出てきたとしても、

それは自分が成っていないわけではありません。

だから、悲観しなくてもいいし、

否定もしなくていいのです。

ただ、真っ直ぐに、見てほしい、

そう思います。

わたし自身、

誰の価値観で生きているのだろうと、

何度も自分に問いかけてきました。

わたしの中にある価値観は、

本当にわたしの中から生まれた価値観だろうか、

それとも、わたしが育ってきた環境の中で

「ふつうは」とか「世間は」とか「みんなが」とか、

そういった意味を含めた価値観ではないだろうか、

考えれば考えるほど、境界線がわからなくなってくる

問いかけです。

新しいコンテンツを考えるたびに、

わたしは素晴らしいと思う、でも求められているのだろうか、

では、求められていないコンテンツは、不要なモノなのだろうか、

考えれば考えるほど動けなくなります。

でも、そこから目を逸らしたり、

自分の声に耳を塞いだら、

考えるのをやめてしまったら、

それこそ、わたしは何も成さなくなるだろう、

そうなれば、

それこそわたしは何のために生まれてきたのかわからなくなる、

それが怖いのです。

だって、わたしはあの日、

これからの人生は何かを成し遂げるために生きよう、と

決めたのだから。

自分自身、そういう生き方を望んでいるのだから。

この問いかけが、わたしの自分との向き合い方です。

自分の姿を見るのはキツいけど、

失望したり、何だりで、疲れるけど、

コロナの影響で、

長い自粛期間の中で、

否応無しに、自分と向き合わされ、

まだ何も成し遂げていない自分の姿を見てしまったから、

もう躊躇している時間はないよね。

一歩ずつ、進んでいきます。