もう、コロナ禍とは言わないで。
日本には言霊という言葉がある。
言葉がいろいろな思いを引き寄せるという。
だから、日本人は忌み言葉をあまり使わないようにしてきた。
ここ数年、よく目にするのは「コロナ禍」という言葉。
禍だ。
パンデミックの収束がまだ見えず、自粛や我慢を強いられる毎日。
思うように行動や活動が出来ない今を
禍と思う気持ちはよくわかる。
閉塞感がいつもまとわりついている。
心もだんだん荒んでいく気がする。
でも、もしかしたらそれは「禍」と思うから、
そう感じるのかもしれない。
このパンデミックで、わたしたちは多くのことを学んだ。
新しい生活習慣の中で見つけた幸せもある。
失ったモノの代わりに得たモノもある。
だとしたら、このパンデミックは
「禍」ではなく「現象」だ。
もちろん、そうは思えない人もたくさんいるだろう。
渦中にいる人たち。
最前線で戦っている人たちにとって、
これは災いだろう。
少なくとも禍々しいとは思っていないはず。
そんなこと、考えてもいないはず。
それなのに、わたしたちはあたり前のように
コロナ禍という言葉を使っている。
今の状態全てコロナのせいだと思おうとしている。
だから、わたしはもうコロナ禍とは言わない
そんな禍々しい言葉は使わない。
この先、時代がどう変わろうと、
社会がどう動こうと、
全てを乗り越えていくのが、
わたしたち人類なのだから。